なぜオリジナル表具なのか。

「全体とは、部分の総和以上のなにかである」というアリストテレスの思想は、現代の生命科学の基礎となっているようです。こうした見方から表具を捉え直すとき「表具という全体は、書画と裂地との総和以上のなにかである」と言えるのではないかと思えます。

因みに掛け軸を分解するとなにがどうなるでしょうか。

書画と周りを取り囲む一文字、両脇にある柱、天地と呼ばれる部分、そして軸棒や軸先、掛け軸を掛ける掛け紐とバラバラに解体して並列に並べたとき、掛け軸という全体が持っていたこれら部分の総和以上のなにか、+アルファも解体されてしまっていることに気づきます。

表具は書画と裂地を並列的に取り合わせるのではなく、書画を裂地が取り囲み、内部と周縁として全体をかたちつくっています。このかたちは総和以上のなにかを生み出そうとする、非常に優れた構造であるように思います。この構造は生命の基礎である細胞膜に見ることができるものです。

それゆえ、「表具は細胞膜」であるとも言えるでしょう。

従来、表具は本紙より勝ってはいけない、また、本紙が主であり、表具は従であるともと言われてきました。こうした捉え方は必ずしも表具のすべてを説明できるものではありません。仏教絵画や仏教の法語などの表具には豪奢な金襴緞子を用いることが多く、先の主従関係論では説明できるものではありません。

だからと言って、表具が勝ってもよいと言いたいのではありません。

本紙にたいして、表具が強すぎても弱すぎても+アルファはうまく立ち現れないということです。掛軸形式は江戸期までに完成したと考えられていますが、現代の書道や絵画は額装による形式が増えてきています。これは、床の間の減少だけによるものではなく、書画と取り合わせる素材やデザインによって新しい総和以上のなにかが求められているからとも言えるのではないでしょうか。

軸源はオリジナル表具として、1980年の初頭から様々な素材やデザインとの取り合わせる表具を試みてきました。そうした表具はブログ・軸源の表具日記でご案内して参りましたが、この度ホームページでもご案内できる運びとなりました。

初代から二代、三代と引き継がれて参りました軸源は、弛むことなく研鑽を積み、新たな表具世界に関わってゆく所存でございます。引き続きましての御愛顧をお願い申し上げる次第です。

参考図書 「世界は分けてもわからない」福岡伸一・講談社新書