御依頼主が百日のお祝いの時に着た着物です。
中回しの裂地が百日の時の着物です。天地はわたしが集めていた着物を使いました。中回しが派手なので一文字は付けず中風袋にしました。
『桃桜白髪の雛もあらまほし』蓼太(りょうた)
書は尾道市在住の書家・中本桃水先生です。大島蓼太 1718~1787信州伊那郡大島村の人。御用縫物師。江戸中後期の俳諧師。二世雪中庵に学ぶ。後に三世雪中庵となり、芭蕉復帰を唱え天明の復興に寄与する。門人3000人といわれた。『世の中は三日見ぬ間に桜かな』の句がある。(ウィキペディアより)